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カン・ジャラルの旅立ち

Selamat jalan, Kang Jalal

· Ideology,Books

 インドネシアを代表するシーア派、宗教・宗派間の共存を唱えた知識人として知られるジャラルディン・ラフマット(Jalaludin Rahmat)、通称カン・ジャラル(Kang Jalal)が新型コロナで亡くなった(注1)。71歳だった。私は一度だけインタビューをしたことがある(確認したら会ったのはもう5年前になる。偶然にも亡くなった2月15日だった)。

 マイノリティのシーア派知識人として長年猛烈な批判や脅迫を受けてきたはずだが、「闘士」というイメージからは程遠く、とても繊細で穏やかな人物だった。不都合だと思えるようなことについても驚くほど率直で、彼から離れていった人たちのことを、むしろ愛おしく語っていたのが印象に残った。「また質問があればいつでもどうぞ」とメールアドレスを自ら教えてくれたのに、去年ようやく出版した論文を送らなかったことが悔やまれる。

 カン・ジャラルは1980年代からアブドゥルラフマン・ワヒド、ヌルホリス・マジドと並ぶスーパースター、イスラーム思想革新の旗手であった。さまざまな社会問題に目を向けながら、シーア派とスンナ派の論理を橋渡しするような解説やスーフィズム(イスラーム神秘主義)による物の見方を示した文章が多い(注2)。そこにイスラームに限らない西洋の思想、心理学や社会学などの見解が挟まれる。同時代の大学生や若い読者の知的好奇心を刺激したことが容易に想像できる。

 『スーフィー的改革(Reformasi Sufistik)』(1998年刊)に収録されている「死の意味(Makna Kematian)」と題する文章はこんな調子である。

クルアーンによれば、「まことにおまえたちがそこから逃れようとする死、まことにそれはおまえたちと出会うものであり、それからおまえたちは隠れたものと顕れたものを知り給う御方の許に戻される」(Q62:8)と我々に告げている。

心理学者たちは死を意識することは、精神的な病理となると述べている。フロイトが陥ったように、死は人を不安にし、心の病気にする。スーフィーたちにとっては、死について考えることは霊的な発展の良い印である。「死ぬ前に死ね」と教えられる。死は、信仰をもつものにとっては喜びと平安をもたらすのである。

つまりは、イスラームにおいては、死は悪いことではなく、神の許に帰る喜ばしいことである。そしてスーフィズムにおいては、死について考えることは自分を精神的に高めることになる。こうした見解を比較したうえで、最後にイスラームの格言(ヒクマ)を引用する。

あなたが生まれたとき、あなたは泣く。しかしあなたのまわりの人は喜びで笑う。人間への尊重から、あなたが死ぬときまわりの人は泣く。しかしあなたは喜びで笑うだろう。

ムスリムだからといってみなこのような境地にはなれないだろう。でもたしかにカン・ジャラルは穏やかに微笑んでいるような気もする。

注1:シーア派組織「インドネシア預言者家族愛好者協会」(IJABI)を2000年に設立した。2014年には闘争民主党から国会議員にも選ばれている。見市建『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』(NTT出版、2014年)78-84頁参照。インドネシアのシーア派についてはコチラも。

注2:彼の意味するシーア派とスーフィズムの関係、その普遍性については、以下のシーア派学者タバータバーイーの簡潔な解説を参照。また、カン・ジャラルと親しかったハイダル・バギルによるスーフィズムについての記述はこちら「スピリチュアリズムの勧め」。

どのような真実をも想念であり迷妄であるとするソフィストたちや懐疑主義者たちを除けば、人は不変の真実というものを信じている。そして、清浄な心と清らかな本性で創造世界の普遍の真実を看取し、同時に世界の構成要素の無常を理解する時、人は世界と世界における現象を、美しい不変の真実を映す鏡であるかのように見るようになる。それを理解する悦びの前では他のどのような悦びも無意味でとるに足らないものとなる。そして当然、甘くはあるが無常な物質的生活からは遠のくことになる。・・・実際のところ、神を崇拝する諸宗教を人間世界にもたらしたのはこの内面的な力なのである。神秘家とは、愛によって神を崇拝する者であり、褒賞を求めて、あるいは罰を恐れて崇拝する者ではない。ここから明らかになるのは、神秘主義を他の諸宗教と対置される一つの宗教と考えてはならないことである。神秘主義は崇拝の一つの道、すなわち恐れや期待からではなく愛にもとづく崇拝の道である。それは諸宗教の内的な真実を理解するための道であり、宗教の外面的側面や理性的思考とは位相を異にするものなのである。(モハンマド=ホセイン・タバータバーイー、森本一夫訳『シーア派の自画像』慶應義塾大学出版会、2007年、112-113頁)。